急いで岸に上がったリョーマはまず男の心臓に耳を当てた。
動いている。
一定のリズムで鼓動を刻む心音に安堵した。
衝動的とはいえリョーマが助けようとしたのだ。
目の前でみすみすと死なれては堪ったものじゃない。
「もう大丈夫…だよね」
男を運び上げた海岸は人通りがなく数時間後には潮が満ちてしまう場所だが、じきに目を覚ますなら平気だろう。
リョーマの姿は既に見られており、この場に長居する程危険が付き纏う。
目を覚ました男が危害を加えないとは言い切れないからだ。
見目に騙されてはいけないと忠告してくれた仲間の言葉を思い出していた刹那、リョーマが心動かされた空色が脳裏を過った。
少しだけ。
ふと沸き起こったのは、多分好奇心。
最後に、再び見ることはないだろう男の顔をもう一度だけ見てやろうと思い、恐る恐る覗き込む。
「へぇ、こんなに熱いんだ」
額に掛かる髪を指先で軽く撫でた際に触れた体温はリョーマよりずっと高い。
むしろ火傷に似た熱さを覚え、人間というものは自分達が触るには熱すぎるのかもしれないと感じた。
「結構綺麗な顔してるよね」
中でも一等美しい硝子球のような瞳が瞼の裏に隠れてしまっているのが酷く残念だったけれど。
当初の警戒心を忘れ、リョーマは男の顔をまじまじと見つめていた。
だから気づかなかった。
背後に回された腕と僅かに開かれ、様子を伺っていた怜悧な視線に。
「えっ!?」
突如伸びてきた腕に引き込まれる。
完全に油断していた身体は前へと倒れこんだ。
反射的にギリギリのところで腕をついたリョーマの視界に真っ先に映ったのは、こちらを見据える双眸。
「…げっ」
海の中と違いこの至近距離だ。
誤魔化せるはずがない。
一刻も早く此処から逃げなければ。
本能が警告を告げるのに、身体が動かない。
否、動けない。
男の腕による拘束は勿論だが、何よりその眼差し。
強い視線に射抜かれ、リョーマの時間は止まった。
息をすることすら忘れて呆然と男を見下ろすだけだ。
そんなリョーマを見て至極愉しそうに細められる美しいまでの青。
「な、に…?」
近づいてくるそれに驚いたリョーマが身を退くも既に遅い。
「ヤダっ…」
跳ね退けようとした手があっさりと抑え込まれ、唇に自分と異なる温度を感じた。
熱い。
指先で触れた時とは比べ物にならない熱さに、リョーマは驚きを通り越して恐れすら感じた。
苦しさから開いた隙間に入り込み翻弄する生暖かい何かに、むしろこの男に全て呑みこまれてしまううような錯覚さえ感じた。
怖い。心からそう思った。
助けを求めて縋った視線の先、じわじわと胸を焼くような炎を男の眸の中に見たリョーマは未だ自身の口の中を好き勝手に動き回るそれへと噛みついた。
「ってぇな。何しやがる!」
不機嫌な叫び声と離れていく体温。
手加減はしかなったというより、出来なかった。
リョーマの頭の中は男から逃げることで占められており、他のことを考える余裕もない。
熱い。怖い。
この二つの感情がぐるぐると渦巻き、半ば恐慌状態に陥りながら海の中へと飛び込む。
隙をつかれた男は、海に姿を消したリョーマへと手を伸ばすがあと一歩のところで逃してしまう。
「オイ、お前!」
地上から男の呼び止める声が聞こえたけれど、振り返ることなど出来るはずがなかった。
これは悪い夢だ。
早く忘れよう。
海底に近づくにつれて落ち着きを取り戻したリョーマは、何度も自身へと言い聞かせる。
しかし、いくら忘れようと願っても唇は未だ触れられた時と同じく熱を持ち、口に残る錆の味が夢ではない事実を雄弁に語っていた。
残酷な貴方へより 「配布元:capriccio」