▼二人で手を繋いで
休日の朝。
あと数時間は寝ているつもりだったリョーマは買い出しに行くという跡部に引きずられて近所のスーパーに来ていた。
眠い。
未だ完全に覚醒しない頭とすぐに閉じそうになる瞼。
「立ったまま寝るんじゃねぇぞ」
「だって眠いから仕方ないじゃん。大体何で俺まで…」
だらだらと歩いていると背中を押す跡部に頭を軽く叩かれる。
これが中々に痛い。
もう少し手加減しろと寝惚け眼で見上げるも、逆にさっさと要るものを籠に入れろと急かされる。
苛立つリョーマはジュースやお菓子を次から次へと無遠慮に放り込んでやった。
「ほどほどにしとけよ」
「これでも遠慮してあげてるんだけど」
生活費は折半だが、今回の分は当然跡部の奢りだとリョーマが主張する。
勿論無理やり起こされたことへの意趣返しである。
尤も跡部は堪えた様子はなく、肩を竦めて子供をあやすようにぽんぽんと頭を数度叩くことで逆にリョーマの神経を逆撫でてくれたけれど。
「行くぞ」
会計を終えて袋に品物を詰めると、跡部が自然な動作で大きい袋を持つ。
もう一個あった小さくて軽いものはリョーマへと押し付けて。
「俺、そっちで良いよ」
いつものことだが、重い方を当たり前のように持つ跡部が今日は更に憎たらしく思えて手を伸ばすも簡単にかわされてしまう。
「お前はこっちで良いだろ」
代わりに空いた手を跡部に繋がれてしまい、そのまま行きと同様に引きずられていく形で帰路に着いた。
▼君と揃いの
小腹が空いたなどと言ってキッチンに飲物を取りに立ったリョーマに珈琲を淹れるよう頼むと案の定嫌そうな顔をされた。
「…めんどい」
「インスタントくらいお前でも出来るだろ」
湯を淹れることすら出来ないのかと小馬鹿にしてやると、ムッとした表情を見せたリョーマが乱暴に戸棚を開ける。
分かりやすい奴だ。
「不味かったら飲まねぇからな」
釘を指したのは、珈琲の粉を無遠慮に入れて物凄い濃いものか、もしくはその逆で白湯のようなものをリョーマが用意するに違いないと思ったからだ。
やはりリョーマは何か企んでいたようであからさまに肩を揺らした。
気付かれないと思っているあたり愚かで可愛いと思う。
ぶつぶつと文句を言っている姿を遠目で見守ること数分。
「はい。どーぞ」
中身が零れるのではないかという勢いでテーブルの上に置かれ、跡部が咎めようと口を開く。
しかし、目に入ったそれに怒りが削がれた。
「…何だこれは」
「コーヒー」
「そうじゃなくて、カップだ、カップ」
リョーマが珈琲を淹れてきたマグカップは普段跡部が使っているものとは違い、白地に愛らしい黒猫がプリントされたものだった。
「アンタが使ってたの割れちゃったじゃん」
正確には数日前にリョーマが落として割ってしまったのだ。
「お前のせいだろ」
「だから新しいの買ってきたんだよ」
「よりによってコレかよ…」
趣味じゃないというより似合わないだろう。
苦々しい気持ちでカップを持ち上げて眉を顰める跡部にリョーマは自分の手に持ったままのカップを突き出して。
「俺とお揃い。可愛いでしょ?」
文句あるのかと言いたげな顔で小首を傾げるものだから跡部は白旗を挙げた。
揃いの食器など興味無いと言っていた癖に、たまにこういうことを仕掛けてくるから性質が悪い。
「俺様にこんなカップ使わせるのテメェだけだぞ」
「そりゃ、どーも」
どんな顔して買いに行ったのだろうかと考えながら、文句を珈琲と共に飲み込んだ。
二人で同じものだと言うのならば、こんなのもたまには悪くない。
▼デートの醍醐味
予定を聞かれて空いていると答えれば、出掛けると一方的に告げられた。
当然リョーマは散々文句を言ったものの、最後は跡部に押し切られる形で出かけることになった。
テニスならまだしもデートと称して街中を連れ回されるのはあまり好きじゃない。
しかも今回は何が面倒かというと。
「待ち合わせ場所は駅前の時計の下だ」
「…一緒に家出れば良いじゃん」
共に暮らしているのに、何故か別の場所で待ち合わせることになったからだ。
「俺はお前が出てから時間を置いて行くから」
「何で俺が待たされるのさ?」
跡部をチラリと一瞥してみると身支度は終わっているようだった。
だからこそ不満を口にしたのだが、逆に過去のことを掘り返されてリョーマは言葉に詰まる。
「今まで散々遅刻したからだろうが。たまには待たされる側の気持ちになってみろ」
数十分どころか二時間近く待たせた上に、心配されて探し回られたこともある。
「分かったら、さっさと行け」
気まずさから顔を逸らしたリョーマを力づくで部屋から追い出す跡部。
閉じられた玄関の扉はこのまま突っ立っていても開けられることは無いだろう。
待ち合わせ場所に行くか迷った末、放置して逃げた方が後々面倒だと判断したリョーマは重い足取りで指定された時計の下へと向かった。
到着して跡部を待つこと十数分。
「待ったか?」
漸く現れた跡部は悪びれることなく尋ねてきた。
「待ってないと思うの?」
何を今更。
待ち合わせがしたいなんて跡部が言い出したからリョーマはこうして先に来て跡部を待っていたのだ。
「ここは今来たところだとか言うべきだろうが」
「だって事実だし」
かれこれ十五分以上はこの場に居るリョーマの苛立ちは、朝から跡部に振り回されたこともありピークに達していた。
刺々しい声で答えているにも関わらず、何故か当の跡部は上機嫌で。
「待ってる間、俺様のこと考えてただろ」
さも様子を見ていたかの如くリョーマの心を言い当ててきた。
「…んな訳ないでしょ」
実際、跡部を待っている間彼のことばかり考えていた。
主に理不尽な待ち合わせへの怒りの感情でだけれど、中々姿を見せない跡部に焦れていたのも本当だった為に少しだけ反応が遅れてしまった。
「たまにはこういうのも悪くねぇだろ。アーン?」
それを自身の都合の良い方向に解釈した跡部が次も待ち合わせをしてデートするかなどと言い出すから、待たされるのは御免だと首を横に振った。
「アンタが俺を待ちたいって言うなら考えてあげても良いけどね」
▼料理のススメ
危なっかしい。
跡部は慣れない手つきで包丁を握るリョーマの姿を内心ハラハラしながら見守っていた。
家事は分担。
最初に決めたことで料理も交代で作ることになっている。
跡部もこれまでの生活の中で自分で料理するなんてことが無かった為、リョーマの心配が出来るような立場ではない。
むしろリョーマより酷いとまで本人に言われた。
しかし、傍から見てリョーマの包丁の使い方は心配になるもので。
「気を付けろよ。怪我しても知らねぇぞ」
「煩い。てか、アンタが作れって言うから俺は…痛っ」
言ってる傍から包丁で指を切ったリョーマに跡部絵は溜息を吐いた。
「ほら言ったとおりじゃねぇか」
「アンタが声掛けたからだろ!」
跡部のせいだと主張するリョーマの手を取り傷を確認する。
赤く滲む指先は表面を薄く切っただけで、大したものではなさそうだ。
「手当するから、こっち来い」
今日は出前でも取れば良いだろう。
リビングへリョーマを連れ出そうとすると、手を振り払われた。
「大袈裟なんだよ。これくらい舐めておけばへーき」
「じゃあ、これで大丈夫だな」
ひらひらと未だ血が流れる手を見せるリョーマを捕えた跡部は、リョーマの言葉通り彼の指をパクリと加えた。
そして、そのまま傷口を舐めていると先刻とは比べ物にならない勢いで手を引かれ、真っ赤になったリョーマにキッチンから追い出されてしまう。
「アンタは立ち入り禁止!」
絶対入ってくるなと包丁片手に凄むリョーマを前に、跡部は料理教室でも通わせるかなんて真剣に考えるのだった。
▼嫉妬と確信犯
その日は跡部がまだ帰宅していなかった為、リビングのソファーに座ったまま掛かってきた電話を取った。
別に聞かれて疾しい話は全くもってないのだけれど、一応プライバシーってやつを尊重して電話は互いの部屋でするようにしている。
今日は気にする相手も居なかったこともあり、面倒だからとその場で会話していたのが悪かったのか。
「いつまでも喋ってんじゃねぇよ」
不機嫌な声が聞こえたかと思った時には耳に当てていた機械が遠ざかっていた。
「何?」
リョーマの手を掴んだ跡部は不機嫌さを隠そうともせず、無言のまま携帯電話を奪い去って遠くへと放り投げてしまう。
ガチャンと音を立てて床に落ちたそれは、電池パックとカバーが外れてしまっていた。
「…壊れたらどうすんだよ」
「新しいのを買ってやるよ」
携帯電話の扱いに文句を言えば、新品の方が良いだろと返される。
そういう問題ではない。
「てか、話の途中だったんだけど?」
週末に出掛ける話をしていたのに跡部に邪魔されてしまった。
「面倒だって顔してたくせに」
「…まさか」
そう詰れば、跡部が胡散臭そうにリョーマを見下す。
「俺が帰ってきたこと知ってただろ。この確信犯が」
どうやら気付かれていたらしい。
電話している途中に玄関が開く音で跡部の帰宅を知ったことも、どういう行動にでるか分かって会話を続けたことも。
「もしかして妬いた?」
「俺を試すなんて甘いんだよ」
「じゃあ、行って良いの?」
バレているのならもう良いだろう。
開き直って跡部に挑発するように問いかければ、彼は口元を吊り上げて。
「行かせるわけねぇだろ、馬鹿が」
ソファーに座るリョーマの横に両手をつき、唇へと噛みついてきた。
▼喧嘩しても
切欠は些細なことだ。
負けん気の強い二人が衝突することは日常茶飯事。
相手を言い負かそうと躍起になって。
途中でどちらかが折れる形で落ち着くのだが、今回はどちらも引かなかった。
というより跡部が譲らなかったという方が正しい。
大体の場合、本気で揉める一歩手前を見極めて引き下がるのが跡部だ。
その彼が止まらなかった故に喧嘩に発展した言い合いは、冷戦状態になったまま今も続いている。
会話は無し。
リビングに居ても不自然な距離を保っている。
時間が経つと次第に冷静になり謝ろうと思うのだけれど、高いプライドがそれを良しとしない。
部屋を出て行くことをしないのは、お互い相手から逃げたと思われたくないからだ。きっと。
「俺はもう寝る。お前もさっさと寝ろよ」
気まずい沈黙の中、跡部が口を開く。
彼の言葉にハッとして時計を確認すれば、既に時計の針は翌日を示していた。
「……」
寝室に消える跡部に声を掛けようと口を開いたものの、言葉が出ない。
彼と同じベッドに眠るのが嫌でいっそこのままソファーで寝てしまおうかと考えたのは一瞬で、何故自分が譲らなければならないのかと思い直して寝室へ向かう。
其処はいつもと同じ。
なのに違うと感じるのは、こちらに背を向けて眠る跡部の姿があったからだ。
なるべく音を立てないようにベッドの中へと潜り込む。
跡部に倣ってベッドの端に転がるとこんなに広かったのかと今更ながらに思った。
普段感じる体温は無く冷たいシーツに居心地の悪さを感じる。
瞼を閉じて寝ようとしても相手の気配ばかり気にしてしまって寝付けなかった。
最悪だ。
一言謝ってしまえばいい。
頭では分かっていても実行するのは難しく、リョーマはギュッと目を瞑ったままひたすら朝が来るのを待った。
翌朝。
目を覚ましたリョーマの視界に真っ先に入ったのは、跡部の苦笑い。
驚いて起き上がろうとした身体は何故か動かなくて。
「…夢?」
どうやら跡部に抱きしめられているらしい現状に困惑した。
昨夜、自分達は喧嘩していたはずなのに。
「…昨日は悪かったな。俺も言い過ぎた」
「俺も…その、ごめん」
バツが悪そうな表情で謝る跡部に夢ではないと確信したリョーマも同じく謝罪の言葉を伝える。
跡部の話を聞くと、どうやら彼は気付いたらリョーマを抱き込んだまま眠っていたようだ。
慣れとは実に恐ろしい。
「丁度抱き枕に良いサイズだからな」
「俺、アンタの枕になった覚え無いんだけど」
「当たり前だ。枕相手に本気になるかよ」
軽口を叩きあうのが楽しくて、どちらともなくキスをして。
喧嘩したところでお互い離れられそうにないと言いながら二人して笑った。