君と過ごす日々 その3

▼ある昼下がりの

洗濯ものを畳みながら午後の穏やかな時間ににうつらうつらと船を漕ぎかけていたところ、太股に重みを感じた。
半分以上閉じかけていた眼で見下すと、勝手に人の脚を枕にして寝転がっている跡部が視界に入る。
「…邪魔なんだけど」
「煩ぇ。枕が喋んな」
人を枕と言い切った跡部は反論など聞かないとばかりに瞼を閉じてしまう。
このまま床に落としてやろうかなんて思ったけれど、肩の力を抜いてソファーに身体を横たえる姿を前に動くことは憚られた。
ずるい。
当たり前のような顔で、此処は自分の居場所だと無言で告げて。
時折、居心地悪そうに身動ぎするくらいならベッドに行くなり、クッションを枕にするなり選択肢はいくらでもあるのにいつだってリョーマの傍を選ぶのだ。
風にそよぐ髪を慣れた手つきで軽く撫でれば、僅かに跡部の表情が緩んだ。
「マヌケ面」
幸せそうな表情にリョーマは思わず小さく笑ってしまう。
クスクスと笑う声に気づいたのか、はたまた最初から此方の反応を窺っていたのか。
ゆっくりと瞼を持ち上げた跡部と視線が合うなり、不満そうに眉根が寄せられる。
「誰が間抜けだって?」
「アンタ。緩みきったその顔他のやつに見せてやりたいね」
本当は自分だけが知っていれば良いと思うのだけれど、そんなこと素直に言える筈がない。
「他の奴の前でこんなことするかよ」
すると、跡部は天の邪鬼なリョーマの心をを読んだかのような台詞を吐いて。
「お前だけだ」
横になったままリョーマの腰に腕を回してきた。
「…知ってる」
そんなこと言葉にせずとも分かっているのに、敢えて口に出すから性質が悪い。
恥ずかしがるリョーマを見て楽んでいるのだ。
だからお返しにキュッと鼻を摘んで。
「やっぱりマヌケ面だね」
こちらを睨む物言いたげな唇を塞いでやった。
暫くして少し苦しそうに目を細める跡部にほくそ笑みながら、このまま窒息してしまえばいいのになんて。
不意に浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えは伸びた腕に捕えられ、体勢が逆転してしまったことですぐに消えてしまった。



▼ヤキモチと朝の騒動

珍しくリョーマが居ない。

ベッドにあるはずの温もりを探した跡部は、起き抜けのぼんやりとした頭でリョーマの姿を探すも、寝室のどこにも見当たらない。
ベッド脇のナイトテーブルに置いてある時計を確認するとリョーマが起きるには早すぎる時間で。
「…どっか出掛けるなんて言ってたか?」
疑問を抱きつつ、リビングへと向かう。
「居ねぇな…」
リビングに続く扉を開けて部屋の中を見渡すが、やはりリョーマの姿は見当たらなかった。
後からメールか電話をしてみるか。
寝癖のついた髪をくしゃりと掻きながら洗面所に向かう。
そして、顔を洗おうとした瞬間。
「何だこれは…」
鏡に映った自分の顔に思わず目を見開いた。
見慣れた顔に見慣れないものがある。
「越前リョーマ…って何でアイツの名前が」
頬に黒ではっきりと書かれた文字は、跡部の恋人のフルネームで。
「しかもこれ油性じゃねぇか」
頬を軽く擦ってみるものの、変化なし。
「分かりやすくて良いでしょ」
頬に水を付けたりタオルで拭ったりしている跡部の背後で聞こえたのは、楽しそうな声。
慌てて振り向けば、悪戯の成功に喜ぶリョーマと目が合う。
隠れてやがったのか。
「テメェ…やりやがったな」
これでは外に出られない。
ふざけるなときつく睨むとリョーマの笑みが更に増す。
もしかして怒っているのか。
笑顔の裏に苛立ちを感じた跡部が眉を顰めると。
「自分のモノには名前を書いておけって学校で習ったじゃん」
伸ばされたリョーマの手に頬を撫でられた。
跡部は自分のものだと主張してくれるのは嬉しいが、彼らしくない。
何か理由があるのかと考えていたところへ。
「これで出かけられるものなら出かけてみれば?」
挑発的な台詞を投げられて漸く理解した。
リョーマは知っていたのだ。
今日の跡部の予定を。
「俺が行きたいって言ったわけじゃねぇぞ。人数合わせだの何だのって忍足の奴が…」
単なる飲み会と話したのが逆にまずかったのか。
付き合いで所謂、合コンというものに参加することになっていた跡部は、自分の本意ではないと溜息混じりに弁明する。
別に跡部が参加したいと言った訳ではない。
出来るなら、リョーマと家でゆっくりと過ごしたい。
「…分かってる。けど、やっぱ面白くないじゃん」
思いの外大きくなった溜息にリョーマも跡部の苛立ちを察したのだろう。
視線を逸らして不満そうに呟く姿が酷く頼りなく思えて。
「今日の予定は全部キャンセルだ」
自然と身体はリョーマを腕の中に抱き寄せていた。
降参だ。
どうせ、この顔では外に出られないし、何より跡部がリョーマを置いて行きたくない。
たまには二人でのんびり過ごすのも良いだろう。
「ふーん」
跡部の言葉にリョーマは素っ気なく返すが、その声は先刻より少し弾んでいた。
素直じゃない恋人の嫉妬を微笑ましく思いながら、視界に入る項にそっと口づけて痕を残した。
彼もまた自分のものであると示す為に。



▼熱に溶ける

玄関の扉が開く音が聞こえ、半分以上眠りに落ちかけていたリョーマの意識が覚醒する。
もう帰ってきたのか。
事前に告げられていた時間より早い帰宅に何かあったのだろうかなんてソファーに凭れながらぼんやりとした頭で考えていると。
「…暑い」
「暑いなら離れれば?」
リビングに入ってくるなり抱きついてきた跡部にリョーマは呆れた声で返す。
確か、今日は最高温度に達すると言っていたような気がする。
室内は涼しいけれど、外は余程暑いのだろう。
だからと言って涼しい部屋で人に引っ付いてくる意味は全くもって理解出来ない。
「てか、俺まで暑くなってきたんだけど」
背中をバシバシと何度か軽く叩くが、跡部は離れるどころか腕の力を強めてくる。
苦しいし、暑いし勘弁して欲しい。
温度を下げようと空調のリモコンに手を掛けると、その手を掴まれて。
「テメェは身体冷し過ぎなんだよ」
ポイっとソファーの端へとリモコンは投げ捨てられた。
エアコンの設定温度を上げたら良いとか、上着を着れば良いとか。
正論はいくらでもあったものの、眉を顰めながら離れようとしない跡部を見たら言葉にするのは憚られた。
自分の方が暑いのにご苦労なことだ。
「馬鹿」
「黙れ。察しろ、バーカ」
苦笑交じりに罵ってやれば、理由を作ってやっているのだと厭味っぽく笑われて唇を塞がれた。



▼プレゼントは

朝、跡部が家を出るときも特に変わった様子もなく起きているのかさえ怪しい寝惚けた声でリョーマにいってらっしゃいと送り出された。
後から驚かせるつもりなのかもしれない。
らしくない姿に期待したが、昼頃になって冷静になると本気で今日が何の日か忘れている気がしてきた。
試しに帰りが少し遅れると跡部がメールを送信してみれば、一時間以上経ってから了承を示す素っ気ないメールが返ってきて。
「チッ」
予想通りの結果に跡部はがっくりと肩を落とした。
記念日とかそういったイベント事を気にするような性格ではないことぐらい付き合いの中で十分すぎる程理解していた。
数日前に誕生日だと告げた時もだから何という顔をしていた。
『欲しいものあるの?』
『特にねぇよ』
『ふーん』
会話はこれだけで終了。
欲しいモノが浮かばないという跡部をチラリと一瞥しただけで、すぐに視線を手にしていた雑誌に移してしまった。
「アイツ絶対覚えてねぇな」
帯を見つめる跡部のため息交じりの声は暗く、苛立っていた。
一言で良かったのだ。
朝、家を出る前におめでとうと祝福の言葉を言って貰えたらそれで十分だった。
覚えていて欲しかっただけだ。
「帰ったら言ってみるか」
自分から改めて口にするのは屈辱的だと思うが、このまま何もない日として過ぎてしまうのは避けたかった。
ただ、真っ直ぐ帰るのは憚られる為、メールで連絡した通り寄り道してから帰った。
二人揃って夕飯を食べる時間を過ぎてしまっていたけれど、どうせ待っていないだろうと思って声を掛けることなくリビングに入る。
「遅いよ」
瞬間、聞こえたのはおかえりではなく不機嫌なリョーマの跡部を責める声。
「遅くなるって連絡しただろ」
ジロリと睨まれた跡部が反論すれば、リョーマがあからさまに顔を逸らす。
知らないとでも言うつもりか。
返事がしっかりと書かれたメールでも見せてやろうかと可愛くない態度に跡部が苛ついていると。
「アンタ自分で言ってたじゃん」
「あぁ?」
「誕生日だって」
「お前覚えてたのか?」
信じられない。
半信半疑で跡部が尋ねれば、リョーマが当たり前だと頷く。
「だから待ってたんじゃん」
「待ってた?」
朝はそんな素振り全く見せなかったくせにと揖斐傾げな視線を送る跡部にリョーマは口端を持ち上げて。
「欲しいモノが無いって言ってたから」
先刻までの不機嫌さとから一変、ニヤリと笑ってみせた。
「お前がプレゼントだって?」
自信に満ちたリョーマに呆れながら問う。
「そうだけど、文句あるわけ?」
「ねぇよ」
いつも一緒に居るじゃないかという野暮な台詞は飲み込んで、生意気な恋人を腕の中に抱き寄せる。
ョーマは跡部にとっての自分の価値というものを理解しているから性質が悪い。
 強い力で抱き込む腕に文句を言いながら、漸く跡部が聞きたかった言葉を紡ぐリョーマ。
「遅ぇんだよ、馬鹿」
「アンタが悪いんでしょ」
相変わらず悪態を吐く自分達の姿に苦笑しながら、来年も同じように過ごせたらいいと、少し先の未来へと思いを馳せた。



▼ 君に悪戯

ハロウィンお決まりの台詞を跡部に向けたリョーマの手に抱えきれないばかりのお菓子を与えると、何故か不満そうな顔をされた。
足りなかったのだろうか。
歳を重ねてもお菓子やジュースを好むリョーマだから、十分にあり得る。
「今日はこれだけしか用意してねぇぞ」
お前は食べ過ぎだと日頃の食生活も含めて咎めれば、違うと首を横に振られる。
「折角、悪戯してやろうと思ったのに」
それが目的か。
「俺様に悪戯できると思うのかよ」
むしろ返り討ちにしてやると鼻で笑う跡部に、リョーマはムッと頬を膨らませるから。
「大人しく菓子でも食ってろ」
顔を近づけてキスをするフリをしてやった。
案の定、引っ掛かったリョーマは、不意打ちに驚きつつも普段の癖でちゃっかり瞼を閉じた。
「簡単に引っ掛かってんじゃねぇか」
マヌケ面と唇に触れる代わりに鼻を摘めば、リョーマが怒りで頬を染める。
この後に待つのは、きっと小憎たらしい言葉だけだと分かっていたから、今度こそ唇を奪ってやった。