3.例えばそれが仕組まれたとして

跡部と再会してから数日が経った。
リョーマの現在の勤務先であるテニススクールで担当する生徒達の指導をしている最中でも浮かぶのは男の勝ち誇った顔だ。
テニスを通じて知り合っただけにテニスで跡部のことを否応でも思い出してしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
尤も、再会して以来彼を思い出さない瞬間など無いに等しかったけれど。
渡された携帯電話も指輪も返すことが出来ないままリョーマが持っている。
指輪に至っては石鹸やハンドクリーム等を試したけれど、外れることは無かった。
誰かに手伝ってもらうことや貴金属を扱う店で切断してもらうことも考えなかった訳ではないが、他人に話すのは憚られた。
せめてもの抵抗に上から絆創膏を貼ってみたものの、解決したとは到底言えない。
「あの時…捨てておけば良かったな」
跡部が未だにこの指輪を持っていたことを喜んだ自分の心が何より恐ろしく思えた。
専用だと言われた携帯電話は一度も電源を入れていない。
彼にしか繋がらないそれを持つ意味はないと自宅の隅に置き去りにしたままだ。
そうすればリョーマの連絡先を知らないだろう跡部と会う手段は断たれる。
十年近く前も同じように彼から離れた。
だから、今回も。
「指を怪我してるの?」
「うわっ…」
跡部のことを考えながら見つめていた左手を突然横から掴まれたリョーマは驚いて手を引いた。
しかし、手首を掴んだその人は一向に離そうとしない。
「痛いっス。幸村さん」
「ああ。ごめん、ごめん」
見た目に反して意外と力のある彼に抗議すれば、軽く謝られた後にあっさりと解放された。
学生時代はライバル校の部長。
現在は同僚として同じテニススクールで働く幸村と話す機会は多く、こうして声を掛けられることも少なくない。
「ここ数日元気が無いって周りが噂してたよ」
「…そんなこと無いっスよ」
幸村に指摘され、周囲に気付かれる程動揺していたのかと思うと酷く苦い気持ちになった。
「原因はその左手の薬指ってことかな?」
同時に色々と厄介な人に余計なところを見られてしまったかもしれないと思ったのは、彼が絆創膏に隠されたものに対し含みを持たせた話し方をしたせいだ。
「別に指の怪我なんて珍しいものじゃ…」
「表情からして怪我には見えないけど?」
否定するリョーマへ哀れみに似た視線を向ける幸村。
全てを見透かしたような彼の眸に思わず身を退いてしまったのは仕方のないことだった。
「もし…本当に逃げたいと思ってるなら今すぐにでも逃げた方が良いよ。もう間に合わないかもしれないけれど」
「何を…言ってるのかよく分からないっス」
幸村の言葉にリョーマは心臓を鷲掴みにされるような感覚に襲われた。
今すぐに逃げる。
それは一体誰から。
「アンタ…知ってるんですか?」
「当事者じゃないから何となくだけどね。実際、越前の反応からするに跡部に会ったのは間違いないんだろ?」 「…流石っすね。でも、逃げろってのは大袈裟でしょ」
二人で居るところを不特定多数に目撃されていたのは事実だったから跡部と付き合っていたことを知っていても可笑しくは無いが、どうして逃げろとまで忠告するのか。
「十年近く前の話で…もう全部終わってる。だから今更」
「相手も本当にそう思ってるなら良いけどね」
リョーマの考えをあっさりと否定し、跡部の考えをリョーマより知っているかの如く話す幸村にムッとして睨めば、肩を竦められた上に溜息を吐かれた。
「俺からしてみれば、十年も経ったというより十年も待ったという感じがするよ」
「待った?」
「仮にこれまでの全てが計算されていたとしたら、君は逃げられないだろうね」
リョーマを手に入れる為に十年もかけたという幸村の憶測に頷く気にはなれなかった。
「…有り得ないっすよ」
「そう捉えるように仕向けているのも計算のうちかもしれない」
真剣な声音に思わず息を飲んだのは、鈍く光る跡部の眸を思い出したからだ。
考え込むリョーマ肩を軽く叩く幸村は余計に悩ませてごめんと一言謝罪するなり、殊更優しい笑みで手を差し伸べてきた。
「逃げたいと思って俺の手を取ってくれるなら、助けてあげないことも無いけれど」
「それって告白ってやつですか?」
「どうだろうね」
はぐらかす彼の声に少しの本気を感じたが、敢えて気付かないフリをした。
幸村の心遣いは有難いが、跡部のことは心配しなくても大丈夫だろう。
もう会うこともないと高を括るリョーマだが、その予想は跡部によって間もなく破られる。
あの時、幸村の言葉に従っておけば良かった。
帰宅途中、無理やり車に押し込まれ跡部に連れ去られたリョーマは、既に逃げ道を全て塞がれていたことを知る。