厄介なことに跡部は越前家の人間にリョーマが考えていた以上に受け入れられていた。
家族の中で跡部の評価は高く、彼らの目には親切で面倒見の良い他校の先輩として映っているらしい。
試合以外で交流したことなど無いはずなのだが。
『リョーマがお世話になっているみたいで』
『いえ。リョーマ君には良きライバルとして常に刺激を貰ってますから』
誰だお前。
そうツッコミを入れたくなるような跡部の猫被りに自然と口元が引き攣ったのは致し方ないことだ。
だからリョーマ君って何だ。
寝起きに続き聞きなれない呼び名と柔らかな声に悪寒すら感じたるリョーマとは反対に跡部は本人の容姿と殊勝な態度により女性陣の心を掴んでしまったようだ。
困った時はお互い様。
母に言われてしまえばリョーマは黙るしかなかった。
実際、跡部には全国大会の決勝戦で軽井沢まで迎えにきて貰った恩もある。
彼の力が無ければリョーマは試合に出ることすら叶わず、優勝を逃していただろう。
恩を仇で返すような真似をリョーマだってするつもりはない。
故に跡部が居候する話だって強く反対することは出来ないまま、数日が経過した。
しかし、相手はあの跡部なのだ。
元が桁外れの金持ちのお坊ちゃんで、生まれた時から庶民とは違う生活をしていた彼の感覚はやはり人とはズレていた。
「夕飯の買い出しだと?」
「嫌なの?」
居候の癖に。
父である南次郎が引っ張り出してきた鼠色のスウェットの上下を妙に着こなしている跡部へ手伝いくらいしろという意味を込めて母から預かった食費と買出しメモを差し出せば、訝しげにそれを見つめて言い放った。
「足りるのか、これで?」
「当たり前。じゃなきゃ頼まないよ」
「これだけの食材を集めるのにこれっぽっちの金で足りるはずが無いだろ」
一体何処でどんな材料を買う気だ。
折角だから跡部と共に行くようにと言われたお遣い。
そこで早速立ち込めた暗雲にリョーマは不安しか感じなかった。
この人と買い物って時点で無理だろう。
スーパーに居る跡部が想像出来ない。
「やっぱり良い。俺一人で行くから跡部さん留守番してて」
絶対に連れて行ってはいけない。
跡部と出かけて恥ずかしい思いや気苦労をするのはリョーマなのだ。
買い出ししている場面を誰かに見られても困る。
「オイちょっと待て」
「何?」
「この俺様を置いて行くつもりか?」
勿論そのつもりである。
「別に俺が頼まれたことだし、跡部さんはゆっくりしててよ」
さもそれらしい理由をつけて説明してみるものの、それで納得するような相手ではない。
「そういう訳にいくかよ。何より俺は此処で世話になっている立場だしな」
逆に正論を返して着いて行くと主張する跡部にリョーマは頭を抱えたくなった。
無理。絶対無理。
「いいよ。跡部さん一応お客さんみたいなもんだし、この辺慣れてないだろうから心配だし!」
「あん? お前この俺様が迷子になるとでも言いたいのか?」
何とか踏み留まらせようとしたリョーマの発言は跡部を煽ってしまったようだ。
「どうせ俺が買い物一つ出来ないとでも思ってんだろ」
その通りである。
はっきりと言えたらどんなに良かったか。
「そんなこと無いっすよ」
肯定すれば更に食いついてくることは明らかだった為、リョーマは敢えて否定した。
「嘘だな」
尤も逸らした視線とこれまでの態度からすぐに見抜かれたのだけれど。
「嘘じゃないっすよ」
「じゃあ、俺が買出しに言っても問題ないな」
「…それはちょっと。ほ、ほら跡部さんの手を煩わせるわけにもいかないし!」
必死に止めれば止める程、跡部がその気になるなど焦るリョーマに分かるはずもなく。
「テメェがそんなに言うなら行ってやろうじゃねぇか」
可笑しな意気込みと共に既に跡部の中で買出しに行くことが決定されていた。
幸いだったのは、一人で行くと言い出したことか。
「留守番するのはお前だ。絶対に着いてくるなよ!」
「はいはい。でも、アンタ場所とか買うもの分かるの?」
「先刻から馬鹿にしてんのか?」
「馬鹿にしているんじゃなくて本気で心配してるんだけど…」
跡部の恐らく初めてになるだろうお遣いなど不安要素があり過ぎる。
とんでもない場所に迷い込んだり、見当違いな物を買ってきたりするのではないか。
カード以外の支払いの方法を知っているのだろうか。
レジにちゃんと並ぶことは出来るだろうか。
考え出したらキリが無い状況にリョーマからは苦笑いしか零れない。
やはり、此処は腹を括って自分も着いて行くべきか。
跡部が夕飯の買出しに失敗した場合リョーマが母や従姉妹に咎められるのは確実。
「あのさ、やっぱり俺も」
「却下だ。俺様の邪魔するんじゃねぇぞ」
こちらの考えなど見通していると言わんばかりの表情の跡部が言葉を遮った。
そして買い物メモと食費をリョーマの手から取り上げ、スーパーの場所をリョーマに確認する。
「じゃがいも、人参、玉ねぎ…」
書き出されている材料を真剣に読み上げる跡部とかシュール過ぎて何だか笑えてきた。
似合わない。
「跡部さん本当に大丈夫?」
「俺を誰だと思ってるんだ?」
念入りにチェックを繰り返す跡部に再度確認を取るなり自信満々に返される。
やっぱり不安だ。
「帝王様でしょ。分かったから…日が暮れないうちに行ってきてよ」
このまま行かせることに躊躇いはあるが、リョーマが言ったところで聞きはしない。
非常に面倒臭いと思ってもこっそりと後を着いて行くしかないだろう。
厄介な展開になった場合のフォローとか厭で堪らないけれど。
「…大丈夫かな、あの人」
小さな子供を外に出す親の気持ちってこんな感じなのだろうか。
意気揚々と出て行った跡部の背中を見送るリョーマは自分らしくないと脳裏に過ぎった光景を振り払った。