賽は投げられた

夕日が空を赤く染める帰り道。
リョーマの通学路ではまず見かけないだろう珍しい人物と出会った。
氷帝学園テニス部部長、跡部景吾だった。
連れの後輩が居ないのも珍しい。
ぼんやりと考えていたリョーマがその横を通り過ぎようとした瞬間に腕を掴まれ告げられたのは、あまりにも唐突な一言。
単語として認識したものの、頭が理解して状況を飲み込むには少々時間を要した。
ピンと張り詰めた空気の中、唯一つ相手の本気を肌で感じる。
嘘、偽りは其処には全く無く。
理由なんて知る術はないし、知りたいとは思わなかったけれど瞳の中に秘めた何かに考える間もなく惹き込まれて、言葉より先に頷いていた。
「…良いよ」
ついて出た言葉は僅かに掠れる。
けれど、その台詞を吐き出した瞬間。
否、頷いた途端に跡部の眉間に深い皺が刻まれた。
酷く不快そうに歪められたそれはあからさまな拒絶を表していて、リョーマは何が何だか分からない。
だって、この人は頷くことを望んでいたはずだ。
そうでなければ、あんな事言うはずが無いのに。
何故。
真摯な瞳には怒りというか憎悪に似た色が滲んでいて、先刻とは違った意味で動けなかった。
縮められる距離が怖く思えた。
跡部の背に見える夕焼けは、まるで今の彼の心を表しているよう。
リョーマの視界は一点だけを捉えていて逸らす事は許されない。
いつもの威勢は意志は何処に置いてきたのだろうと自分でも不思議に思うくらい圧倒された。
突き刺さる視線に、纏う雰囲気に飲み込まれる。
呼吸が止まるかのような錯覚。
「生憎と中途半端なものは要らねぇんだ」
その隙間がゼロと感じられるほど近づけられる顔。
長い指が顎に触れ軽く持ち上げられた。跡部は不敵に唇の端だけを持ち上げて笑うと低い声でそう囁いた。
そして、欲しいと告げた彼は直後、要らないと真逆の言葉を投げつけた男は多く語ることなく去っていった。
まるで数分の出来事が嘘のように。
遠くなる背中は決して振り返ることは無く、それが悔しくてたまらない。
はずみで頷いたはずの自分だけが熱を取り残されたその事実。
「絶対に手に入れてやる」
強く握る手にはまだ何も掴んでいないけれど、そう遠くない先にいつか。