久々に寄ったストリートテニスのコートで見覚えのある姿がリョーマの目に入った。
しかし、覚えはあっても名前も何処で見たかも思い出せない。
視線が合って誰だっただろうかと首を傾げること数十秒。
「青学のルーキーじゃねぇか」
近寄ってきたその男が傲慢そうな笑みを携えて声を掛けてきたところで漸くピンときた。
「ああ、サル山の大将か」
大した感動もなくどうでも良さ気に言ったのが気に食わなかったのか、目の前の男は眉を顰めて。
「俺様が直々に声を掛けてやったのに何だその態度は? あーん?」
「頼んで無いし…」
有難く思えと言われても喜ぶはずがない。
相変わらず偉そうな奴だ。
リョーマが面倒くさいという表情を隠さずにどうしたものかと視線を廻らせる。
「もしかしてアンタが相手してくれるの?」
そして、男がラケットを手にしていることに気付き表情を変えた。
厭そうな顔から一変、目を輝かせたリョーマが挑発的な笑みを浮かべる。
すると、男は呆れ気味に肩を竦めて。
「お前がお願いしますって頼むなら相手してやっても良いぜ?」
ニヤリと意地の悪い笑みで返してきた。
「…誰がするかよ」
結局その気が無いのだろう。
以前にもあっさりとかわされた経験からそっぽを向いて離れようとすると。
「待てよ」
肩を掴まれ、呼び止められた。
「何?」
試合をする気がないなら帰る。
テニスをしないサル山の大将には興味などない。
「逃げるのか?」
視線を合わせず振り払おうとするリョーマに、男は挑発的な台詞を投げかけてきた。
これは、かつてリョーマが男に向けたのと同じ言葉だ。
覚えていたのか。
「俺が逃げるわけないじゃん」
取り合わないのは目の前の男であって、リョーマが逃げている訳では無い。
断じて。
「氷帝学園テニス部部長の跡部景吾だ」
ふざけるなと睨み上げるリョーマを男は満足そうに見下して。
「だから?」
「俺の名前。ちゃんと呼べたら相手してやるよ」
自分の名前を呼んでみろと要求してきた。
「やだ。サル山の大将はサル山の大将でしょ」
別に名前を呼ぶくらいどちらでも良いのだけれど、相手の思い通りにするのは癇に障る。
フイッと視線を逸らすリョーマ。
「もういーよ」
付き合っていられないと今度こそ跡部から離れようとした瞬間。
「えっ?」
跡部の顔が驚く程近くに迫り、リョーマは目を見開いた。
慌てて身を退いた時には、自分と異なる温度が唇に触れた後で。
「生意気な口もこうしたら黙るもんだな」
突然の出来事で固まるリョーマの頭を撫でた跡部がとても愉しそうに口端を持ち上げる。
「やっぱりお前、面白ぇな」
新しい玩具を見つけた子供に似た光を宿す眼に、膠着から解けたリョーマは唇を尖らせた。
「別に俺は面白くないし」
からかわれたと思ったら余計に腹立たしい。
「で、試合するの?」
この苛立ちは跡部を完膚なきまでに叩き潰して晴らさないと気が済まない。
リョーマが焦れた様子で問いかければ、跡部は首を横に振って。
「まだお前には早ぇよ」
「は?」
「それに…もういいって言ったのはテメェだろ?」
お預けだと言い聞かせるように殊更優しい声で諭すから本当に性質が悪い。
まるでこちらが我儘を言っているみたいではないか。
人の揚げ足まで取りやがって。
「知らない」
これ以上跡部と話しても茶化されるだけだ。
顔も見たくないと背を向けるリョーマに跡部が声を掛ける。
「またな」
「次なんて無いから」
打ち合ってみたいという気持ちはまだあるけれど、跡部と関わりたくないという気持ちの方が勝った。
もう二度と跡部に自分から声など掛けるものか。
背後で聞こえる笑い声を振り払うようにリョーマはその場を後にした。
偶然の邂逅から数日経ち、跡部のことを忘れかけていた頃。
テニスの相手を探してふらっと立ち寄ったストリートテニス場でまたしても跡部を見つけてしまったリョーマは、表情を曇らせた。
氷帝学園の部長とやらは余程暇なのか。
以前のやりとりが蘇り、すぐさま踵を返そうとした。
しかし、互いの存在に気付いたのは同時で。
「よぉ、越前じゃねぇか」
「げっ」
立ち去ろうとしたところに声を掛けられて嫌々ながら振り向くと、こちらを見据える跡部と視線が交わる。
「じゃあ、俺はこれで」
関わらない方が良い。
テニスの相手を探しに来たものの、跡部だけは勘弁願いたいとリョーマは足早にその場から離れようとするが。
「オイ越前」
「…何すか?」
お前に用はない。
言葉無く眸で訴えるが、逆に鼻で笑われる。
「逃げるのか?」
それは、以前リョーマが跡部に向けた台詞であり、つい先日跡部に投げかけられたばかりの台詞でもある。
敢えて此処で使ってくる辺り相変わらず意地が悪い。
「アンタ相手に何で俺が逃げなきゃいけないのさ?」
「そうだな。お前が逃げるはずねぇよな」
しまった。
また乗せられてしまった。
ニヤリと口端を吊り上げる跡部のペースに完全に巻き込まれていると気付いた時には、もう遅くて。
周りから死角になる場所へ強引に引き寄せられ、抗議の声ごと口を塞がれてしまった。
自分より少し低い体温を唇越しに感じ肌が粟立つ。
気付けば入り込んできた舌を思い切り噛んでいた。
「テメェ、何しやがる」
それはこちらの台詞だ。
「俺に触んな」
口元を手の甲でごしごしと拭いながら吐き捨てるリョーマを見る跡部の眸に剣呑な光が宿る。
これはまずい。
厭な予感を覚えて身を退いた直後、再び唇へと噛みつかれた。
「ハッ。照れて可愛いじゃねーの。口は少し過ぎるがな…」
少し黙れと命令する暴君の言葉など聞いて堪るかと睨み上げれば、跡部は目を細めとても綺麗に笑った。
嗚呼、本当に腹立たしい。
やっぱりお前なんてサル山の大将で十分だ。
否、サル山の大将より最悪だ。
「アンタなんかテニスで負かしてやるから」
片手で口元を押さえ、関わらないと数日前に決めたことを忘れて覚悟しておけと宣言する。
だが、その言動すら跡部に仕組まれていることに気付かないリョーマは、自ら深みに嵌り始めていることに気付くはずもなかった。